カザフスタン共和国における細胞診事情(セミパラチンスク市)

JICAセミパラチンスク地域医療改善計画細胞診専門家

土井 久平

 私は2001年度より、国際協力事業団(JICA)のカザフスタン共和国セミパラチンスク地域医療改善計画の一員として参加しています。1949年8月29日に第1回の核実験が開始されて以来40年間にわたり約500回行われ、その影響で住民の放射線後障害として白血病、癌、その他の疾患が発見されました。この問題が国連で取り上げられ、1999年の東京会議で地域医療改善計画が決議されました。

日本はそれに基づき医療技術協力を行う事になり、私は本年5月より細胞診の技術協力として参加しています。また、JICAは同時に無償協力として市内の基幹病院に約6億円の医療機材を提供し、現地に検診車を配備して検診活動が行なわれるようになりました。二次検診は市立診断センターで、甲状腺、乳腺、呼吸器、消化器系等の細胞診が行なわれる予定になっています。

細胞診の現状を見ると、全ての標本が旧ソ連邦時代に行われていたギムザ染色によるものであり、パパニコロウ染色標本は皆無でした。したがって、私の使命はパパニコロウ染色法の普及とパパニコロウ染色標本による細胞診断の技術指導ということになります。しかし、当地には染色液どころか染色機材も無いため、機材は日本から持参し、染色液はドイツから輸入することにしました。

カザフスタンに向かう前に、それら物資が手元に届くまでには約3ヶ月を要すことを聞いていましたので、当面直ちに使用できる分を準備して行ったため、戸惑うこともなく仕事を始めることができました。その他にも無水アルコールが無いことにも困惑しました。仕方なく95%アルコールに硫酸銅を加えたもので脱水や透徹を行っています。アルコールは貴重であり、診断センターの病理・細胞診部門での1ヶ月間の使用量は3.5?に制限されているのが現状です。しかし、キシレンは比較的容易に入手可能です。顕微鏡は私が学生時代に実習で使用した反射鏡によって光源を得る古いタイプのものしかありませんでしたが、現在は日本より持ち込んだ顕微鏡を使用しております。

セミパラチンスク市内で細胞診を見ている人は過去に小児科、内科、外科等の経験がある女医さんばかりで、細胞診の経験は2年〜25年と幅広い年齢層です。依頼書や報告書はB5版の1/4サイズで、表側に氏名・年齢および簡単な病歴を記入し、裏面が報告書になっています。また、スライドグラスは異常のない標本を煮沸滅菌して再生利用するため、ガラスにキズができて、標本が見づらくなってしまいます。疑陽性以上に診断された標本は保管しますが、標本の整理がされておらず、紙に包んでしまい込んであります。その為に標本の再チェックをする時、その標本を探し出すのが大変で苦労しています。

ようやく、染色液がドイツより到着して本格的にパパニコロウ染色が出来るようになり、婦人科細胞診も始めましたが、前述のように硫酸銅を用いて作製した無水アルコールはキシレンに入れるとすぐ白濁してしまい、その度にキシレンを取り替えて使用している状態です。

最初に驚いたのは子宮頸部擦過標本に出現する細胞の細胞質の染色性が異なったことです。当初はアルコールに問題があるため、固定や脱水不良によるものかと思っていましたが、表層細胞の細胞質がオレンジGやエオジンの染色性を示さず、中層細胞は大型化して核の肥大を伴っているのです。何故だろうと考えているうちに、ハット・・・葉酸欠乏?・・・と思いはじめました。それにしてはそのような患者が多すぎるのでは?・・・との疑問もありましたが、その疑問も間もなく解決しました。それは現地の人に貧血が多く、鉄欠乏性貧血の治療に反応しない症例もある事を聞いたからです。野菜の摂取が少なく、特に冬には新鮮な野菜は殆ど取れない状態ですので、葉酸欠乏症は十分考えられ、改めて細胞診断学の素晴らしさに興奮してしまいました。

こちらでは早期癌は皆無に等しく、その大半は末期癌であり、細胞診の役割は癌と診断できればよいというのが現状と思われます。末期癌においても細胞診による癌の診断例は殆どないため、私は内視鏡で採取された組織の圧挫標本を作製し、昔を思い出しながら細胞診を始めました。そして最近になって、22歳男性の食道癌が細胞診で発見されたことが契機となり、消化器系の細胞診(食道、胃、大腸等)の依頼が多くなりました。また、婦人科領域においても、子宮頸部の上皮内癌と診断された患者が癌センターに送られようなシステムが軌道に乗りはじめたところです。今回の任務はこれで終了し、10月5日に帰国の途につきました。

9月11日にアメリカで同時多発テロがあり、カザフスタンでも地元の放送局や、モスクワ放送でその事態が放映され、私達もテレビに釘付けにされ夜中まで観入っていました。しかし、テロ事件の放映も時が過ぎれば定時ニュースだけとなり、日本の様に詳しい報道は殆どありませんでした。カザフスタンの日本大使館とも仕事の件で常に連絡をとっていましたが、アフガニスタンの問題で大使館からの指示は何もありませんでした。

諸先生、諸先輩、また検査士会の皆さんに大変ご心配をお掛けいたしましたが、無事帰国できました、この紙面をお借りして御礼を申し上げます。

平成13年10月13日

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関連リンク

「カザフスタンの細胞診の現状について」

E. skorokhodova
医師・病理形態学専攻

セミパラチンスク市診断センター、医学アカデミー助教授